犬伏家の先祖は、戦国時代の阿波三好氏の家来で、出城の犬伏城(現、徳島県板野郡板野町)の城主でした。
家伝によると、安土桃山時代、当家に歩行困難になった旅人が助けを求めて訪れ、手当てを加えるうち数日後に全快しました。
この旅人より、恩に報いるためにと薬方が伝授され、これに従って調合した薬を<龍虎圓(りゅうこえん)>と名づけ近隣に施したところ、薬効著しく世に伝わったのが犬伏家の薬業の始まりとされております。
文政年間(1818~1830年)、犬伏九郎左衛門が、阿波藩の御典医(大名に仕えた医師)橘春庵の指導を得て、龍虎圓の処方に改良を加えて薬名も改め、<敬震丹>を創製いたしました。
江戸時代には鎖国のため手に入らなかった生薬が入ってくるようにもなったため、
より良い処方を求めて、処方内容に改良を加えて参りました。
しかし、一部生薬はまだ貴重品で、敬震丹も高価な薬であったと言われております。
処方内容がほぼ現在のような形となりました。
愛用者の口コミにより、敬震丹は全国に広がり、販売所も京都三条・東京日本橋・大阪平野町など拡大して参りました。
▲当時の敬震丹製造風景(再現ジオラマ)
犬伏製薬(当時の「犬伏古松軒製薬所」)は、戦争により制定された企業整備令により、徳島県製薬株式会社に統合されました。なお、同社初代社長には、弊社代表者が就任いたしました。これに伴い、昭和17年~22年ごろまで、敬震丹の製造中止を余儀なくされましたが、戦後昭和23年には、全国からの要望と生薬の入手ルートが確保出来た事により、製造を再開いたしました。
昭和中頃までは家内工業的に製造しておりましたが、平成元年に、衛生管理や品質管理体制の強化のため、設備の整った現工場に移転いたしました。